受け手としての感性

最近、本を読むのがとても楽しい。
活字を目に通すのがある種の快楽となっている。



手に取った本のほとんどをサクっと読めるし、
(速度は普通だと思うが、読むことに対する精神的苦痛を全く感じない)
頭がスポンジのように内容を吸収する。



これは、テキストの内容を理解する読解力もさることながら、
「数ある本の中から、自分にとって本当に必要な本が何かを察知する能力」

も向上したためだと思う。



自分に必要な知識と、自分が読みやすいタイプの本を理解し、
また対象となる本そのものへの観察力も上がった気がする。



総じて言えば、受け手としての感性が鋭敏になってきたということだ。
これは、素直に嬉しい。



作り手としての感性にはみんなすぐ目が行くが、
受け手としての感性は、見落としている人が多いのではないだろうか。



例えば、「小説が書きたい」と言いつつ、
「どうやって書けばいいかわからない」と言って、
ああでもないこうでもないと悩んでいる人。



もしそんな人がいたら、伝えたい。



もっと、本を読んでみてはいかがだろう。



書きたいときには、総じて理由はない。
経験則だが、「いま書かなければ」という強い欲求が心の底から混みあがってくるものだ。



それを考えても、おそらく答えはでないし、
無理やり自分に信じ込ませたところでドツボにはまる。



だから、書きたいものが浮かばないとき、
もしくは、アイディアが良い形にまとまらない時は
落ち着いて本を読んで、インプットしたらいい。



ただ漫然と読むだけではなく、



・自分はどんな作品が好きか
・なぜ、自分はその作品が面白いと思ったか
・なぜ、その作品は売れたのか



など、批評的な視点を磨くように心がける。



難しく考える必要はない。
主観で感じたことを、できるだけ客観視してみる。
ただそれだけのことだ。



感動したり、読んでいてワクワクしたり、
読み終えた後「もっと続きが読みたい」と思う感情は、個々人の主観。



それを分析的に、客観的に、一歩引いて考え、書き出してみる。
そうして受け手としての感度を磨いていけば、
自然といろんなことがわかってくる。



この理論に説得力を持たせていくのが、これからの仕事か。