彼を尊敬するか、嫌悪するかでその人の生き方がわかる――堀江貴文「夢をかなえる打ち出の小槌」

私は、堀江貴文氏を尊敬している。
内田樹野村克也堀江貴文の三人は、私にとって
「実際に会ったことのない師匠」である。



夢をかなえる「打ち出の小槌」

夢をかなえる「打ち出の小槌」



この本は、堀江(敬称略)の成功論だ。
ただし「オレはこうして成功したんだぜ」という自慢話ではない。
本質的な着地点にしっかり話を落としている。



マスコミは彼を拝金主義者として写したが、彼の著書やブログをひと目でも見れば、
それが事実無根な空想であることはすぐにわかる。



逆に、堀江は本質を突きすぎた。
それをあまりに忌憚なく(悪く言えばケンカ越しに)、
しがらみに捉われず言うものだから、マスコミには妙なレッテルを貼られてしまった。
(マスコミを否定しているわけではない。それがマスコミの仕事なのだ)



さて、本の内容に入ろう。



著書のタイトルになっている「打ち出の小槌」とは、
言うまでもなく「叩くだけで願い事をかなえてくれる道具」である。



彼の理論はこうだ。



打ち出の小槌とは、「信用」のことである。
信用という無形の財産を身につけることで、願い事をなんでも叶えることができる。
(世間では、「願いをかなえるにはお金が大事」というが、お金は信用の結果として集まるもの。ただ金銭収集に注力した所で、そこに信用が伴っていなければ何の意味もない)

信用を生むのは、「自分なりの成功体験をもとにした自信」と、それを他人に伝える「コミュニケーション力」である。
この二つを用いて築いた信用を、惜しまず積極的に投資する。
そこでの経験が、また自信を生む。その自信をまた投資する。
このサイクルを繰り返すことが、「打ち出の小槌を作る」ということである。



これは、恐ろしく本質を突いてはいないか?



彼の理論が素晴らしいのは、自信を生む源を「自分なりの成功体験」に見出したことだ。
何も、自身のように「起業してそれを年商1000億に成長させろ」と言っているのではない。



各々が、自らの能力に応じて、最大限成果を出すこと。
それだけで可能性が拡がる、と言っている点で、この理論は本質的な普遍性を持っている。
誰にでも吸収・応用ができる。



  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □



さて。
「自分なりの成功体験」を作るには、
既存の価値観をいったんカッコに入れて物事を考えなければならない。



他の誰かが築いたものに乗っかっても、
良くてそこのトップに追いつくしかできない。
(そして、大抵はそこに到達すらできない)



自分なりの成功を築けば、そこにライバルはいない。
とうぜん自分が絶対になれるから、それが強い自信を生む。



――のはずなのだが、これを邪魔するのが既存の価値観だ。
日本では特に、これが邪魔になる。



とりわけ堀江が否定するのは、
「コツコツ病」、という精神病。



コツコツと時間をかけてやることが偉いことだ、
と日本では信じ込まれている。



それは、根拠がない。
コツコツの価値を自分の言葉でしっかり説明できる人が、はたしてどれくらいいるだろうか。
たいていは、「そういうものだから」と、もっともらしい経験則で知ったかぶりをしている。
(残念なことに、年配者ほど「年齢」を担保に、知ったかぶりが説得力をもつ)



コツコツは、言ってしまえば「行為の固定化」である。
それが価値となっていた時代は良かったかもしれない。



しかし、これだけ社会が流動的になっている時代に、
はたして「行為の固定化」がどれほどの価値を生むだろうか?



むしろ、時代から取り残されて苦労するだけなのに、
多くの人はそれを常識だと漠然と信じ込んでいるから、疑おうとしない。
疑う素振りを見せると、まるで悪魔でも見つけたかのように反発する。



これを踏まえて、
本書の第三章のタイトルは、



「夢を邪魔する常識の壁を破れ」



となっている。



ここの項目が、実に面白い。



・コツコツやって楽しいの?
・謙虚って逃げの口実?
・耐えることを美徳とし、そこに喜びを見出させる教育なんて、マゾを育てるための教育だ。
・親の言うことは聞くな
・格差はあって当たり前
・資格なんて無駄
・おいしいポジションを取れ

必要以上にケンカ越しに見えるきらいはある。
だから、生理的に嫌悪して読まない人も多いだろう。



ただ、人から命令されるのが嫌いな人や、
真の意味で自分なりのものを築くことに生きがいを覚える人、
もしくはこの見出しを読んだだけでワクワクする人は買い。