文学のためにも、ラノベを馬鹿にしてはいけない

かつて大塚英志はこう言った。


――売れない文学は、ラノベに劣る。


当然物議を醸し出したわけだが、
あえてこの発言を起点として、少し考えてみたい。



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ライトノベルを、まるで馬鹿が読む書物だとでも
言わんばかりに非難する文芸評論家は多い。



しかしながら、それは根本的に読み方を履き違えているよ、と口を挟みたくなる。
いわゆる<ブンガク>と同じ目線で評価していては、
ライトノベルを真に精査することはできないからだ。



ライトノベルは、何よりも市場ありきで作品を作る。
すなわち、読者の潜在的欲望を拾い上げるようにして世界観・キャラクターを造形する。
メタ的な主題や「作家が書きたいこと」は、後から付随する形になる。



涼宮ハルヒの憂鬱」が社会現象化したのが記憶に新しいが、
ハルヒ」の登場人物は皆が皆、オタク的な欲望を巧みに突いたもので、
それがいとうのいぢの画と組み合わさることであの一大ブームに繋がった。



それと逆に、いわゆる<ブンガク>は作品ができる過程が
ラノベと真逆なのではないか。



すなわち、「作家の書きたいこと」が第一優先にあり、
それが大衆に受け入れられれば売れるし、ウケなければ売れない。
商売としては極めて行き当たりばったりなものだ。



してみると、
文学はプロダクトアウト、ラノベはマーケットイン。
――という図式がここに成立する。



だからなのだろうか。



ここ数年の芥川賞などを見る限り、<ブンガク>はそれほど面白くないし、
そもそも純文学はそれほど<ブンガク>としての価値を持っているのか、
些か悩ましい、と重々感じる。



しかしながら、いちおう文壇では純文学の側に位置する作家にも、
個人的にとても好きな作家がいる。
ナラタージュ」のヒットが記憶に新しい、
島本理生である。


ナラタージュ (角川文庫)

ナラタージュ (角川文庫)


若者の心の機微を繊細に描くのがとても巧い人だと思うのだが、
しかし<ブンガク>というほど上段に構えて読んでいるかと言えば違う。



いわゆる<エンタメ>とされている他の小説と同じように
サクっと読めるが、読中読後にはじんわりとした感触が残る。



結果として「ナラタージュ」は売れ、
30万部弱のベストセラーとなった。



別に島本を見習え、と言いたいわけではないが、
<ブンガク>は今後いかに大衆の感性を突いてくるのか、
もしくは相変わらずのプロダクトアウトを続けるのか、
一読者として楽しみにしている。