市橋達也、マスコミの罵声、あるいはメディア・スクラム


市橋達也の逮捕劇を見ていて、思う。



日本のマスコミの、なんと下品で醜いことだろう。



(「もはや容疑者よりもマスコミのほうがニュース映像になっている」との説明文が、実に的を射ている)



逮捕前は顔をさらしてひたすら煽り、
直前は実況生中継の大騒ぎ。
捕まったら大声で容疑者を罵倒し、「叩いて」いる。



浴びせられる罵声。
「オイ市橋顔出せぇぇえ!!」
「顔出せや市橋ぃ!」



この構図、まるで2chではないか。



しかしマスコミはそれだけにとどまらなかった。



容疑者に罵声を叩きつけるだけでなく、
報道員同士、場所の取り合いでお互いに罵声を浴びせ合っている。



「どけ、どけやこら」
「オイ押すな! 押すなオイ、コラァ!!」
「危ないんだよ、下がれテメェ!」



そして公共の駅に大挙して押し寄せ、新幹線にもずかずか乗り込み通路を塞ぐ。
一般利用客の迷惑や、警察の公務執行妨害に対する配慮は、そこには微塵もない。
東京駅の日本橋口、階段で女性の金切り声(悲鳴)が聞こえたが、まさか一般客では……。



さらにマスコミは市橋容疑者の両親の顔をアップで、何の画像処理も施さずに放送した。
もし両親に危害が加われば、どう言い訳するつもりなのか。



岐阜県某市の、あの家の近隣に2chねらーが一人もおらず、
そして彼らが両親の顔や家を掲示板にさらしたりしないと誰が断言できるだろう。



容疑者を擁護するつもりは全くないし、この事件の関心が高いのも事実だ。
ただ、報道陣の常識や羞恥心をあまりに欠いた行為には考えさせられるものがある。



この事態の根底にあるのは、視聴率至上主義に染まったマスコミの社内体制である。
記者も上から「絶対に取ってこい」という至上命令をたまわっているのだから、取らないと給料泥棒になってしまう。
だから事件記者やディレクター、テレビのリポーターたちは、どんなに気が進まなくても、会社にいる以上は一般人や警察にはわき目も振らずに「絵」を押さえなければならない。



そしてマスコミの構造上、この報道を「見ている」私たちが彼らのマーケットになっていることは否定できない。
だから本音では彼らを軽蔑したいのだけれど、実はその権利は我々にないのである。
この光景を、「注目して」観てしまっているから。



今回のような、報道陣が群がっている光景を見ている自分に、少しでも「好奇心」がないと断言できるか?
こうして記事にしてしまった私には、もう反論ができない。



暴走するマスコミと、それを軽蔑しつつもしっかり「観て」いる視聴者。
もちつもたれつの、矛盾した関係がここにある。