デッカード「我思うゆえに我あり」

ブレードランナー』をようやく見た。


ブレードランナー ファイナル・カット スペシャル・エディション (2枚組) [DVD]

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(何故かうちの大学の文学部・文化構想学部においては、
 ブレードランナーが必須の教養であるかのような扱いをされており、
 見てないのが恥ずかしいかのような風潮がある。一部だけど)


その感想。


面白いと言えば面白いのだが、
友人に勧めようとは思わない作品である。


理由を一言で言うと「作風が退廃的だから」だ。
見てて心踊るわけでもなければ感動もしない。


ただ、次のような人にとってはこの映画は「面白い」だろう。


(1)ダークな世界観のSFが好きな人。
(2)リドリー・スコットの映像センスに共感できる人。
(3)人間の実存に関わるテーマについてあれこれ考えるのが好きな人。


である(3を読んで眉を顰めた人はなかなか鋭い)。


私がこの映画を面白いと感じるのは、何よりもこの映画が持つコンテクストである。
ブレードランナーには5つの異なるバージョンがあり、異例の作品となっている。


当初この作品は「一般ウケしない」と見なされ、
劇場版はリドリー監督の意向とは違う形で公開された。
(その判断は正しいと思うが、結果として劇場版は微妙な作品となっている)


リドリー監督が本来意図していた『ブレードランナー』が
公開10周年を記念して制作された「ディレクターズカット版」である。
(その他のバージョンについてはwikipediaを見ていただければ、と思う)


ディレクターズカット版(以下DC版)には、主に次の2シーンが追加された。


(1)デッカードユニコーンの夢を見るシーン
(2)最後にデッカードが折り紙を拾うシーン


この二つのシーンによって作品の解釈が大きく変わってくる。
(ここからの解説は反転してあります)


いつも折り紙を折っていたガフという人物を覚えているだろうか。
折り紙が落ちていたということは、ガフがあの場所にいたことを意味している。
つまり彼はレイチェルを見逃したのである。


さらに、折り紙はユニコ ーンを模ったもの。
すなわち、デッカ ードの脳内の情報を彼が知っている可能性を示唆している。


レプ リカ ントの記憶は予めインプットされたものであるから、
デッカ ード自身がレプ リカ ントである可能性が生じる。


レプ リカ ントを狩っていたデッカ ード自身が、実はレプ リカ ントではないか、
という解釈がここに成立する。


DC版で挿入された2シーンのおかげで、この作品は劇場版とは全く別モノになってしまった。
その映画史的な事実が、本作の最大のキモな気がする。


私は映像畑の人間ではないから、どうしてもそういう評価をしてしまうのである。
フィルム・ノワールは正直言って好みではないし。


映画くらいスカッと見させてくれよ、と思うあたり、
私は文学部に不向きなのかもしれない。