美女は悪女ゆえに美しい――オスカー・ワイルド「サロメ」

絶世の美女、という者がいるとすれば、
その過ぎた美貌は、男にとって一種の狂気となる。


私たちの普段の生活においても、
美人の圧倒的な外面的アドバンテージによって、
男の判断が狂わされることは多々ある。


男を狂わす美女、あるいは男の命取りになる女性のことを
ファム・ファタール」(仏語:Femme fatale)という。
訳すと「運命の女」、「致命的になる女」という意味である。


このファム・ファタールという題材を用いた作品の代表格の一つとして挙げられるのが、
オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」だ。



サロメ (岩波文庫)

サロメ (岩波文庫)



この作中の舞台は、紀元1世紀のパレスティナ地方。
ローマ帝国の息がかかったユダヤ人、ヘロデ王がこの地を治めていた。



ヘロデ王はヘロディア妃と結婚したが、それに異論をとなえた
預言者カナーンヨハネ)は地下牢に幽閉されている。



王女サロメが王宮の饗宴を抜け出し、ヨカナーンが地下牢から発する声
を聞くところから、ストーリーが始まる。



カナーン「あの女はどこにおる、壁に描かれた男たちの絵姿を、彩色をほどこしたカルデア人の絵姿を見てさえ、我が目の淫欲に身をゆだね、カルデアの地へ使節をつかわした女は?」
サロメ「母上のことだね、あれは?」
若いシリア人(注:サロメの近衛兵)「いえ、そうではございませぬ、王女さま。」
カナーン「どこにおるか、腰に飾り帯をつけ、色とりどりの冠を頭にいただいたアッシリアの隊長たちに身をまかせた女は? どこにおるか(中略)、エジプトの若者たちに身をまかせた女は? いざ、その女に、不倫の臥所より、近親相姦の臥所より起き出よと命じよ、主の道を備える者のことばを聞かせてやるから、おのれの罪過を悔い改めさせてやるから。悔い改めぬどころか、あくまで不倫にふけるであろうが。いざ、その女に来いといえ、主の箕はその御手にあるのだから。」



サロメはヘロディア妃の連れ子で、王女である。
その絶世の美貌から数多の男たちの視線の的となるのだが、
それは王とて例外ではない。
(血の繋がらない娘に色目を使う王に対し、妻たる妃は嫉妬を募らせていた。そしてサロメはその色目に嫌気が差していた)



サロメがヨカナーンの声に惹かれ、ヨカナーンを地下牢から出してしまったところから、
物語は急転を迎える。



サロメ「なんとやつれていること! やせた象牙の人形のよう。銀の像のよう。さぞやあの男は月のように浄らかであろう。月の光のよう、銀の光の矢のよう。あれの肌は象牙みたいに冷たいにちがいない。もっとそばによって見てみよう。」
若いシリア人「なりませぬ、なりませぬ、王女さま。」



カナーンの妖艶な容姿に対するサロメの驚きは、やがて恋に変わる。



サロメ「ヨカナーン、あたしはそなたの肌に恋いこがれているのだよ! そなたの肌は白い、一度も草刈りが鎌を入れたことのない野に咲く百合のように。(中略)……そなたの肌ほどに白いものはこの世のどこにもありはしない。そなたの肌にさわらせておくれ。」
(中略)
カナーン「ならぬ、バビロンの娘よ! ソドムの娘よ! ならぬ。」
サロメ「そなたの唇にくちづけするよ、ヨカナーン。そなたの唇にくちづけするよ。」
若いシリア人「王女さま、王女さま、没約の園にも似たあなたさま、鳩のなかの鳩であるあなたさま、この男をごらんなさいますな、ごらんなさいますな! そのようなことをこの男に仰せられますな。聞くに耐えませぬ。……王女さま、王女さま、そうしたことを仰せられますな。」
サロメ「そなたの唇にくちづけするよ、ヨカナーン。」
若いシリア人「ああ!」



恋焦がれていたサロメが、素性の知れぬ囚人に求愛する様を見て、
あまりの嫉妬とショックからこの「若いシリア人」は自殺してしまう。



まずここで、サロメは1人目の男の命を(間接的にだが)奪う。
しかしながら、ヨカナーンサロメの求愛を拒絶し続けた。



その後、ヘロデ王、ヘロディア妃がサロメを探してこの場にやってくる。
ヘロデ王サロメに「自分のために踊ってくれ」と求めるが、サロメはこれを拒否する。



頑なに踊ってくれと言って引き下がらないヘロデ王に、サロメは誓いを立てさせた。
踊る代わりに、サロメの望みの品を何でも与える、と。



王はこれを快諾し、サロメは踊りを披露する。
そしてサロメが要求したのは、ヨカナーンの首。



カナーン預言者として重用していたヘロデ王は拒否するが。
サロメは王に誓いを守らせ、ヨカナーンを斬首役人の手にかけさせる。



カナーンの首を銀の盾にのせて、サロメは妖艶に微笑み、
亡きヨカナーンと口づけを交わす。



サロメ「ああ! おまえの口にくちづけしたよ、ヨカナーン、おまえの口にくちづけしたよ。おまえの唇は苦い味がした。あれは血の味だったのか?……いいえ、ことによると恋の味かもしれぬ……恋は苦い味がするとか……でも、それがなんだというの? それがなんだというの? あたしはおまえの口にくちづけしたのだよ、ヨカナーン。」



その光景に底知れぬ不気味さを感じ取ったのか、ヘロデ王は部下に命ずる。



ヘロデ「あの女を殺せい!」



兵士たちは突進し、サロメを盾の下に押し潰した。



――こうして舞台は幕を閉じる。




ファム・ファタール」をとても端的に表す一作だ。
その怪奇と幻想と恐怖とで「サロメ」は今も人々を魅了し続けている。



こうして見ると、やはり文学は面白いな。