私にとって魂のマンガ――片倉真二「忘却の旋律」
近いうち「このマンガが凄い」というタイトル(未定)で対談記事を作る予定である。
(このタイトルは某宝島社のモロパチなので修正の必要があるのは置いといて)
対談の内容は、“私と友人二人の計3名で、それぞれが「魂のマンガ」と認める3冊を持ち寄って語り合う”というもの。
そのうちの一つに、私はこの『忘却の旋律』を選ぶ。
※余談だが私のhatenaID名「bocka」はこの作品の主人公:芹名ボッカを由来としている。
- 作者: 片倉真二
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2004/12/25
- メディア: コミック
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この作品を一言で強引に形容するならば、「少しオトナ向きの少年マンガ」ではないかと思う。
週刊少年ジャンプやマガジンに載せられるかと言えば疑問だけれど、少年マンガしているのは間違いない、という意味である。
いま「少年マンガする」という奇怪な動詞を書いた。
それはすなわち、少年マンガが王道に押えている要素をキッチリ押える、ということである。
その動詞を具体的に、「冒険活劇」という設定を土台にして、
『忘却の旋律』になぞらえて解説するなれば、
・退屈だった日常が、非日常的な出来事との出会いで変わる(1巻前半)。
・以後、冒険に身を投じるようになり、今まで味わえなかった興奮に浮かれ、調子に乗る(1巻後半)。
・有頂天になっていたがために取り返しのつかない失敗をしてしまい、挫折を味わう(2巻)。
・新たな仲間との出会い、技術的な上達からくる自信によって充実感を取り戻す(3巻)。
・これまでずっと憧憬の対象であり、精神的支柱であった師匠との別離を経験する(4巻前)。
・かつてない絶望感から自分を見失うが、あるきっかけでそこから這い上がり、以前よりもいっそう自分自身の軸が座る(4巻中)。
・最大の修羅場を経験し、人間的に大きく成長する(4巻後)。
・経験を積み、名実ともに最強クラスの戦士へと成長していく(5巻)。
・ライバルとの死闘、そしてラスボスとの最終決戦(6巻)。
というある程度類型化された「成長物語」を展開することである。
こうして箇条書きにしてしまうのは実にさもしい気がするが、
ある程度の経験値を積んだ読み手は、この構造を無意識に察知しているだろう。
忘却の旋律の面白いところは、これを踏襲していながらも、なかなか“不器用な構成”になっているところだ。
1〜2巻とそれ以後で、かなりガラっと作風が変わる。
序盤はどちらかというと、本作の世界観の不条理さを前面にだしたノワール(≒ダーク)な印象を抱く。特に2巻の「白夜谷編」はかなり悲痛な内容で、これを読んだ当時(15歳)には相応の衝撃を受けた。
ところが3巻からだんだんと軽妙な会話やギャグが光るコメディタッチの冒険活劇にシフトしていく。
主人公が挫折しているときも、極力作風を「暗くしないように」という作者の配慮が見える。
最終的にはいわゆる「熱血」と言っても過言でないようなアツい仕上がりに。
最終巻あとがきでも、作者はこのように述懐している。
「この頃(引用者注:2巻)はまるで方向性が定まらず、(中略)とても辛い時期でした。」
しかしながら、その「定まらない中で模索した結果生まれた、前半と後半のギャップと、そのトータルで見た若干のアンバランスさ」が私をこの作品に惹きつけたのである。
これは自らの仕事に対する姿勢としても参考になることで。
よくわかんなくたって、とりあえずもがきながら、やってみましょう。
――改めて読んで、この共感に至ったのである。
だからこの漫画は私にとって「魂のマンガ」なのだ。
単に「好きなマンガ」、「良いマンガ」とは全く違う。
まるで人との交友のように、共感したりすれ違ったり旧交を温め直したりできるのが
「魂」たるゆえんである。