許すこと、許されること


NHKの番組「プロフェッショナル」のテーマ曲、
「progress」の歌詞が好きだ。(※作詞・作曲:スガシカオ





ぼくらは位置について 横一列でスタートをきった
つまずいている あいつのことを見て
本当はシメシメと思っていた
誰かを許せたり 大切な人を守れたり
いまだ何一つ サマになっていやしない
相変わらず あの日のダメな ぼく


ずっと探していた 理想の自分って
もうちょっとカッコよかったけれど
ぼくが歩いてきた 日々と道のりを
ほんとは"ジブン"っていうらしい


世界中にあふれているため息と
君とぼくの甘酸っぱい挫折に捧ぐ・・・
"あと一歩だけ、前に 進もう"



人生の節目節目で聞いては、その度に違った納得ができる曲だ。
高校時代はサビ(ずっと探していた〜〜)に聴き入っていたのだが、今はメロに感慨を覚える。



特に"誰かを許せたり"のところ。
人を許すのは難しい、と最近しみじみと実感する。



許す/赦すという動詞の意味は極めて多義的だ。
それは単に「○○さんの足を踏んでしまいました」⇒「ああ、別にいいよ」
などのような、物理的実害ベースの出来事にとどまらない。



普段から話してて「なんかコイツ癇に障るなー」とか、
「もう彼とは仕事したくない」とか思うことは、生きていれば何度もあるだろう。



ただそこで相手を「切る」ように精神のスイッチを入れてしまうと、その関係はそれまでである。
利益関係が出来上がっている場合を除き、友好関係は途切れてしまう。



気に障ることがあっても、「何故彼はこういう言動をとるのか?」、
「何が彼女をそうさせているのか?」という風に、相手に対して思いを巡らせる。



そこに対して自分なりの答えを持って、相手のイヤな部分を受け入れる。
これが、かなり掘り下げた意味での「許す/赦す」という動詞なのではないだろうか。



いまだ何一つサマになっていやしない、けど。



それでも、今まで自分を許してくれた人たちに、この場を借りて感謝したい。