時間が逆行する!?

壺を通じて、このような記事を目にした。
http://ime.nu/wiredvision.jp/news/200909/2009090723.html


件の学者によると、
時間は「現在⇒過去」としても流れうるものであり、
我々はそれを認識できないが、物理学的には全く不自然なことではない。
……ということらしい。


そこから先の論理展開は、文系脳の私にはさっぱりである。


しかしながら、いくら私が高名な学者の権威に弱い(参考:9月6日の記事)
とはいえ、さすがにこの主張を鵜呑みにはできない。


「学者さん、何だか難しいこと言って、僕をだまそうとしてるでしょ」
……と言いたくなるのが本音だ。


しかし、科学技術とは、概してマユツバなものである。
それは今現在「仮説」となっているものだけではなく、
すでに「実験」によって「証明」されたものも含まれる。


コペルニクスガリレイのエピソードは改めて説明する間でもないと思うが、
15世紀の西欧においては、


「地球が太陽の周りを回ってる!? ……って何意味分かんないこと言ってんの、
 地球を中心にして天体が回ってるに決まってるじゃん」


というのが世論の大勢だった。


私たちは15世紀の西欧の人々を嘲笑することはできない。
なぜなら、いま我々の時代で「正しい」とされていることが、
後の時代においてもずっと「正しい」ままである保証はどこにもないからである。


結局、自然科学における「真理」や「本質」とやらも、
その時代の世論や社会環境によって、あくまで選択的に決定されるものに過ぎないのだと思う。
(研究者の方々から反論されるのを覚悟の上で、私はこう捉えている)


ひょっとしたら、22世紀の人たちは、
「21世紀の人類って、時間が現代から過去に流れることも知らなかったんだって」
と我々を嘲笑しているかもしれないのだ。



さて。
今回の記事に感銘を受けた点がもう一つある。
ソーカル事件」という事柄だ。

>[ソーカル事件とは、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカル(Alan Sokal)
が起こした事件。数学・科学用語を権威付けとしてやたらと使用する、フランス現代思想
の人文評論家たちを批判するために、数式や科学用語をちりばめた疑似哲学論文を執筆し、
これを著名な評論誌に送ったところ、見事に掲載された事件]


浅学な私は今回の記事を通じて初めてこれを知った。


ソーカル、やるなぁ。
彼は、人文学の論壇における「権威」の有名無実化を、
自らの作品によって告発したのだ。


「あんたらの書いてるものって、結局<テツガク>とか<ゲンダイシソウ>とい
 う枠を取ってしまえば、中身なんてスカスカなんだろ?」


とでも言いたげだ。


私は、この事件が「対岸の火事」だとは思えない。


己の自己顕示欲から無意識に似たようなことをしてしまうことがあるからだ。
人は欲に弱く、私もその例外ではない。


自らのアイデンティティを形作るもの。
例えば、趣味、特技、知識、学歴、所属している集団。


こうしたものを説明するために、専門用語を使うことは多々ある。
本人に誇示する意思がなくても、相手によっては嫌味と解釈される。


例えば、私の趣味及び特技は「歌」であるが、


知人「あなたは歌が上手いんですか?」  (語学の教科書のような文だ)
私「えーと、音域はlowGからhiAで、裏声だとhiD#までいけるかな」
知人「え、あ、そうなんですか……」


このケースでは
「歌が上手いかどうか」という曖昧な問いに回答するために、
歌唱力の構成要素である<声量・音域・音程・リズム感・表現力>等の中から
<音域>をピックアップして説明しているのであるが、
当然ふつうの人には伝わらない内容で、見ていて嫌味たらしい結果となった。


……いや、さすがにこんなことはしないけど。


近いことはいつでも起こりうると思っている。


自戒しよう。