素晴らしき集いの条件

今日は合宿から帰ってきた。
ETIC. http://www.etic.or.jp/ を通じて生まれた学生達の集い。


皆とても意欲的で行動力があり、会う度に頭が下がる。


スポーツ大会、バーベキュー、キャンプ場での宿泊、蕎麦打ち体験
――などで親睦を深めたのち、
温泉に入りながらふと考えた。


なぜこの集団は居心地がいいのか。


メンバーの意識が高いから?
価値観が近似してるから?


……確かにそれも大きな要因かもしれないが、もう一つ
この集団には、自分が今まで接してきた他の集団と大きく一線を画している所がある。


それは何かと言うと、


ここには生贄がいないのだ。




概して集団は生贄を求めている。
子供は残酷だ。
特異な容姿、名前、言動、立場――それらを持つ人間は常に攻撃の的とされる。


<大人>の集まりでもそれは変わらない。
嫉妬や羨望。
足の引っ張り合い。
権力を笠に着た抑圧。
――誰かしらの生贄がそういった攻撃に晒される。


そうした直接的攻撃に限らず、
「あの人は○○ができないね」
「この失敗はAさんが招いた」
など、負の感情を呼び込む人間、その誘い水となる人間はどの組織にもいる。


しかし、ここにはそれがない。


ひょっとしたら私が知らないだけかもしれないし、
より親しくなったら発生するかもしれないけれども、
相対的に見て他の組織より圧倒的に少ないのは間違いない。
私の勘がそう告げている。


人のレベルが高いというのは、
詰まるところ、そういうことなのだと思う。


だから、ここで出会った人は真の意味で<無形の財産>だ。
慈しみと義を伴った心の繋がりは、金銭では手に入らない。


どれほど感謝しても、し足りないひととき。
素晴らしきかな。