あのころは皆、中二だった

中二病――これは現代っ子の誰しもが一度は通ったはずの道であり、私もその例外ではない。



wikipediaの説明があまりにも簡潔だったので、ここに引用させていただく。



思春期の少年が子どもから急激に大人になろうと無理に背伸びをして、「(子供の価値観での)大人が好みそうな格好のいいもの」に興味を持ち始め、「子供に好かれそうなもの」、「幼少の頃に好きだった幼稚なもの」を否定したりするという気持ちが要因である。こういった感情から「もう子どもじゃない」、「(格好の悪い)大人にはなりたくない」という自己矛盾からくる行動が、実際に大人になってから振り返ると非常にピントが「ずれ」ており、滑稽に感じることが大きな特徴である。他人の視線を過剰に感じて、なおかつその他人が自分を理解していると思い込むことが多い。よって、その少年期の思い込みが大人になってからの客観的な回顧とに「ずれ」が生まれやすい。


加えて生死や宇宙、人間や身近なものの存在に関して、(的外れ気味に)思い悩んでみたり、(子供基準での)政治や社会の矛盾を批判してみたりするのも特徴的である。さらに実際の自分よりも自らを悪く見せかけようとするものの、結局何も行動を起こさないでそのまま収束するといった性質も「中二病」の「症状」として含まれる。



……読んでいると、胃が回転するかのような感覚を覚える。
高ストレス行動をとった際の生理的反応であろう。



お恥ずかしながら私は、この病気に高一くらいまで罹患していた気がする。
治癒したのはいつごろだったか、確かな記憶はないけれど。



自分が「特別な存在」であって欲しい。
特別な存在たる自分を周囲に見せたい。



言いかえると、「フツー」の自分が嫌になるということだ。
――思春期にはそうした感情が沸々と湧きあがる。



しかしながら、フツーを脱却するには一筋縄ではいかない。
フツーから頭抜けるには、相応の努力が必要となる。



努力というステップを飛ばし、インスタントに実現しようとするから、次のような行動に至る。
「洋楽を聞いている」
「政治について知っている」
「コーヒーが飲める」(場合によっては酒や煙草に手を出す学生もいるだろう)
「『売れる前から知っていた』と盛んに口にし、懐古的な態度を取りたがる」



こうした「記号」を自分にアタッチすることで、
(現状は何も変わっていないにもかかわらず)
自分が周囲と異なる存在であるかのような錯覚を覚えるのである。



今の価値観からすればズレていること甚だしく滑稽なのであるが、
意外と悪くない、とも思える。



むしろ今の自分を形作る上でなくてはならない時期であったのではないだろうか。
背伸びをしようとするというのは、現状を変えようという意思の表れだから。



また、教養主義的な考え方を養う第一歩として、中二病は絶大な効果を発揮する。
教養主義についてはまた明日。