気になるテレビ番組

私はふだんテレビを観ない。
厳密にいえば、「テレビ番組を視聴する目的でテレビを点けない」
というのが正確だ。



録画した番組を観るとき、DVDを再生するとき、
ゲームをするとき以外は、テレビを全く点けないのである。



そんな私も、正月特有の堕落感に負けてか、
なぜかテレビを観ている。



この時期に観ていると、
新たにスタートする番組のCMが多く見られる。
番組改編的に、ちょうど年度内最後のクールにあたるからだ。



その中で、ふと目に留まった番組がひとつ。



日本テレビの「小悪魔ドクショ」である。
http://www.ntv.co.jp/koakuma/



(公式HPより引用)

テレビ史上初!名作文学から『恋の勝ち組』になる為のテクニックを学ぶ!
太宰治芥川龍之介三島由紀夫夏目漱石…日本が誇る文豪たち。
しかし、教科書で名前は見た事はあるけど、作品は読んだ事がなかったり、読まず嫌いのままになっていませんか?
しかし!この有名文学作品の中になんと!恋愛を成功させる為のテクニックが数多く眠っているのです!
この番組ではドラマ、バラエティなどのあらゆる手法を用い、今までに見た事のない斬新な手法でお届けします。
この番組を見れば古今東西の名作を知る事ができ、先人達が築き上げた恋のあらゆるテクニックのおいしいトコ取りが出来るのです。

(引用終)



おおお。



文学部生としては、
正直どこからツッコんでいいかわからないけれど、
それでも、ちょっと気になるではないか。



私は物事を素直に見れない人間なので、かなり斜めから期待している。



私はテレビ無精だが、
新シーズンに録画リスト考えるのは、
楽しいと思う。

「龍馬伝」スタート。

今日から大河ドラマ龍馬伝」がはじまった。



私もこの日をひそかに待ち望んでいた。
高知県出身だから、というのもその一因だが、何よりも
このご時世に改めて坂本龍馬をドラマ化することに大きな意義を感じるからである。



世の中の体制を変えた人間。
周囲が考えもしなかったことを、当たり前にした人間。



何かと「景気が悪い」などと言い訳が先行するこのご時世だからこそ、
龍馬のような志が求められているのではないか、と漠然と感じているのだ。



さて。
肝心のドラマの方は……。



凄い。
息を呑む。
開始して間もなく、目を見張った。



映画のようなフィルム回し。
思わず釘づけになる、圧倒的な臨場感。



従来のテレビドラマとは一線を画し、
幕末の土佐藩の生活模様を、この上なく写実的に描いている。



長回しを多用している点には好みが分かれるかもしれないが、
その分、役者の演技がじっくりと堪能できる。



岩崎弥太郎役の香川照之、巧いなあ。



また、大森南朋武市半平太役)さんは「ハゲタカ」以来、約2年振りに顔を見た。
武市半平太は、龍馬と違ってスーパースターではない。
しかし、確かに自らの信念を持って土佐藩を変えようと思って行動を起こした人である。



結局彼は藩の体制を変えることができずに、最後には切腹を命じられてしまう。
その点で言えば、どこか陰のある人物だ。



ハゲタカの主人公・鷲津政彦にどこか似ている、と直感的に思った。
だから彼を大森さんが演じるのは、とても楽しみにしている。



もちろん、私の「シリーズ番組録画」リストに龍馬伝が加わったのは言うまでもない。

いろんな正月


紅白が終わり、新年の始まりを各チャンネルが告げてから、
一時間ほど経ったころ。



私の耳に、大きなサイレンの音が響いた。
家のすぐそばを、救急車が通過したのである。



翌朝、家の近くの神社へと行った。
火を司る神を祀った、一風変わった神社である。
どうやら火災防止にご利益があるらしい。



境内までの長い階段を上り、参拝を終え、また階段を降りた。
すると、私とは入れ違いに、警護服を着た集団がぞろぞろとそこを上ってきた。
地元の消防団のようだ。



正月早々の出勤である。



さらに、家の近場の、そこそこ大きなスーパーでは正月早々大売り出しをしている。
寿司やら刺身やらを買い求める客が殺到していたようだ。



テレビでは、毒にも薬にもならない正月番組が流れている。
駅伝に出ている選手は、この日のためにこれまでトレーニングを続け、
魂をこめた走りを見せる。



また、インターネットでニュースを見ていると、こんな記事が上がっていた。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091231/crm0912311131010-n1.htm



山口組、年賀状に「謹賀新年」使用禁止 組長服役中で自粛か
2009.12.31 11:29

 全国最大の指定暴力団山口組(本部・神戸市)の有力直系組織内で、年賀状の文面に「謹賀新年」といった新年を祝う言葉の使用を控えるよう、組員に指示されていることが分かった。山口組組長の篠田建市受刑者(67)=通称・司忍=が銃刀法違反(共同所持)罪で刑務所に収監されているため、「新春ムード」を自粛しているとみられる。

 捜査関係者によると平成17年12月の篠田受刑者の収監後、関西に拠点を置く有力直系組織の組員らがやり取りする年賀状には「あけましておめでとう」「謹賀新年」など新年を祝う言葉が控えられ、組員の好きな漢字1字が大きく書かれていたり、前年の恩恵に対する感謝の文言が書かれていたりする内容が多いという。

 関係者は「組長が刑務所にいるのに、新年おめでとうと言っている場合ではない」と説明……




なるほど。
一口に「正月」といっても、
本当にいろいろだな。



と、何だかしみじみしたのだった。

一年の計


あけましておめでとうございます。



元日。
今年の始まりの一日。



節目ということで、
今年の目的(≠目標)を書き残しておこうと思う。
風化しないうちに。



  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □



0.考えるだけでなく行動に移し、それを残す


読んで字のごとく。
もっとツッコんで言えば「評論家にならない」ことを鉄則にして、
さらに「具体的な成果物を残せるような活動をする」と言える。




1.自分自身が名刺になるような行動を起こす



私が嫌いな「大学生の実績」の一覧。
(OBからのヒアリングによるもの。就活グループ面接とかすると、本当によくこの光景が見られるらしい)



(1)サークルの幹事長をしていました(類:バイトで店長代理を任せられました)
(2)イベント運営をし、○○(タレント名)を呼びました。
(3)その他、活動の手段を目的化する行為全般。



たとえば(1)においては、「とある団体で長を務めること=自らの実績となること」
という、ある種の勘違いが見える。



仮にそれで彼が偉く見えたとしても、
それは団体名がそうさせているだけにすぎない。



もちろん、長ができるということはそれなりの能力を示す指標にはなるかもしれない、が。
この超新卒買い手市場の時代には、あまり通用しないように私は思う。



「長をした経験を実績にすること」を否定するわけではない。
ただ、長をしたことによって経験した試行錯誤や、そこから学んだこと
について、ある程度の経験則的裏付け・深みがないと意味がないというだけである。



(2)のイベント運営にしても、それが(学生目線で)凄そうにみえるのは、
あくまでタレントのネームバリューに過ぎないではないか。



さらに、そのタレントを呼んだのは、多くの場合が、大学とサークルのネームバリュー。
先人が作った実績の上にあぐらをかいて、それを再利用して、コンテンツ消化したにすぎない。



忌憚なく言えば、下品だと思う。
先人の残した旗に群がって、自分が何かしたような気分になることが。



だから、私は、通説的に「評価されそうなこと」の裏を行く形で、
自らを差別化し、売り込んでいきたいと考えている。



ハクや、ブランドや、相対的評価とは別の次元で評価される活動を目指す、
という意味で「自分が名刺代わり」という表現を用いた。



これを前提にして、
今年の目的を、いくつか書いてみた。





2.判断を先延ばしにしない



「やりたいと思いつつ、なかなか行動に移せないでいる」
状態をできるだけ廃したいと思う。



やるならやる、やらないならやらない。
今やらないなら、いつから始めるか。
それを決める。



行動を先延ばしにしても、判断を先延ばしにしない。





3.理性より感性を優先する



これには疑問を覚えた人も少なくないだろう。
一般的には、何かビジネスライクなことをするときは
感性より理性を優先した方が良い気がするからである。



しかし、
あくまで私の個人的な実感なのだが、
理屈を先行させると、行動が鈍る。



むしろ、今年はなるだけ感性を尊重したい。



面白そうか、
いけるという実感があるか、
心の底からやりたいと思っているか。



あえて、そこに忠実に、動いてみようと思うのである。





4.思考をなるべくシンプルに



インターン中の実感だが、考えごとをしていると、
どうしても行動の速度が鈍る。



私は生来トロい方なので,
なおさら、「考えごとをしている状態」が危険に思える。



だから、できるだけシンプルに物事を考えたい。
それは活動の目的が明確であればあるほど、体現しやすいはずだ。



  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □



……。
…………。



初っ端から力(りき)を入れて書いた。
ここまで書いたことを実現できるか、できないか。
それについては、この記事を読んでくれた読者の方が、一年後の証人となる。



では、今年も一年、よろしくお願いします。

来年は飛躍の一年に

――飛躍の一年にしたい。
常套句だけど、いま、私は、心の底からそう言いたい。
というのは、界遊さんへのインタビューを通じて、未だおぼろげながら自身の「やりたいこと」が見えてきたからだ。



  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □



批評はもっと、面白く、手軽に読めるものであって良いと思う。
批評に登場するアカデミックな概念やタームは、もっと親しみやすいものであってもいいと思う。



批評される対象――すなわち小説や映画、漫画などについても、
それを読者が誰でも投稿できて、投稿されたものにはもれなく批評がついてくる。



作り手と、それを解釈する側が、
高い意識をもってぶつかり合うことで、お互いの知性を活性化させる。



高度な理論や知的スタンスを提示するだけでなく、
読み手を意識し、読み手にしっかり届く言葉でそれを伝える。
その行為を通じて、実践力を、読者と共に養っていく。



そんな媒体を作ってみたい。



まだ着想段階だけど。



たぶん、メディアとしては誌面になるのかな。



この着想を、できるだけ具体的に形にしてみたい。



来年は、何としても飛躍の年に。



それでは。
良いお年を。

まるで天命を受けたような


まるで天命を受けたような。
それくらい、大きな感銘を受けたのだ。



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先日、私が所属しているサークルは、
世界と遊ぶ文芸誌「界遊」の編集長、Tさんにインタビューを行った。




(界遊)



「『界遊』創刊に際して」という、創刊号の序文が、
何よりも強烈に私の琴線に触れた。



以下引用。



いつからだろう。何かを好きになることが、他の何かを遠ざけることと同義になってしまったのは。趣味の分化が前提となって久しい現在、それぞれが選んだコミュニティの中で、好きなものを好きなだけ摂取する。唯一の価値がなくなって、選択肢が増えたことは一見健康的に見える。だが、そのような場所にあるのは、今まで自分がせっせと摂取してきた好きなものたちと、そう大差のないものばかりだ。そうやって、好きな物たちで自分の周囲を覆っている。コミュニティーを分断する壁は、どんどん厚く固まってゆく。そしてふと視線を上げると、次の一歩を踏み出すためにあった、その空間すら埋まってしまっている。」(1頁目)



そう。
そうなんだ。



例えば、誰かが「文学が好きです」と言うことは、
単に「純文学系の小説を読むことを好む」という辞書的意味を指すにとどまらない。



私たちの生きている社会が、これに含意的ニュアンスを付与する。
たとえば「大衆小説はあまり好きではない」、「ライトノベルは読まない」など。
本人にそのつもりがなくとも、そう解釈される場合がある。



「アニメが好き」という言葉を、衆人環境で声を大にして言うことはタブー視されている。
周囲に認知されると同時に、「彼はオタクである」というレッテルを貼られるからだ。



「ハリウッド映画が好き」な人は、サブカルティックな映画が好きな人と、
なんだか相容れない気がしてならない。



私は、マンガ読みだけど、
ジャンプやマガジンに代表される週刊少年誌のマンガを、滅多に読まない。



そう、まさに、私たちの社会は、
何かを好きになることが、他の何かを遠ざけることと同義」な社会なのである。



そして、「何かを好きである集団」は、その中での排他的な結束を強めていく。
自分の好きなものだけ享受し、テリトリー外に属するものには見向きもしない。



界遊は、この価値観に警鐘を鳴らす。
「世界と遊ぶ」と銘打たれた通り、この文芸誌の扱うコンテンツは多岐にわたる。



小説・お笑い・マンガ・アニメ・女子高生・詩・俳句などの他に、
003号には「たべる、野菜だけを 〜ベジタリアン実践レポート〜」と題した、
野菜しか食べない生活を1ヶ月間行った、なんともストイックな記事が紛れ込んでいたりする。



スタッフの一人ひとりが、それぞれの好きなジャンルを持ち、
同時にそこにとても深い問題意識を懐いているのが伝わってくる。



そして、自分がそれまで興味を抱いてこなかった分野のコンテンツにも、目を向けてみる。
――面白い。



なるほど、と得心する。
「世界と遊ぶ」というコンセプト。
目先の益を求めたり、出版することを目的化しない、そのビジョン。



ユーザに阿らず、ユーザを作る。



そうか。
これか。



まるで天命を受けたかのように、
自分の考えや経験が有機的に繋がっていく感覚。



繋がった結果、何が見えてきたのかは、また後日。

本当に特別なこと


ここ数日、東京は晴れ模様が続いている。
毎日のように空が青い。



この、「当たり前のように空が青い」ということが、
他の何よりも私の心を癒やす。



してみると、
特別でないように見えることが、むしろ特別なことのように思える。



何気ない楽しみが、当たり前のようにそこにあるということ。
それが、明日も同じように続くこと。



非日常的な出来事や、直情的に自分の心を満たすものよりも、
周りの人や、その営みと、心を通わせること。



地味でささやかに思えるかもしれないが、
それを当たり前に享受できるのが、最も幸せなことなのではないか。



心に余裕がもてるようになると、自然とそう思えるようになってきた。
そのきっかけは、また明日。