11歳のころの僕に帰った――ビートたけし「少年」


少年 (新潮文庫)

少年 (新潮文庫)


小学5、6年生のとき、ビートたけしの小説をかなり読んでいた。
読書少年だった、というわけではない。
中学受験の塾で解いた、模試の過去問によく彼の小説が出題されていたのだ。



私が文学部にいるのも、今こうしてブログを書いているのも、
原点はこの時期にあったと思う。



その塾は、スパルタ指導で、進学意欲の高い生徒向けに「飛び級」制を導入していた。
これは、小学5年生時に6年生のクラスに入ることで、6年生の勉強を2回行うというもの。



私は、けっこう勉強が好きだった。児童の受験に対するマイナスイメージとは無縁の存在だった。
学校では教えてくれない知識を吸収して、問題が「解ける」という体験を大量にこなすのが一種の快感になっていた。



そのとき、何よりも好きな科目が「国語」だった。
プリントの問題文から伝わってくる世界が、教科書とは違った新鮮さを感じさせた。



なかでも最も印象に残っているのが、ビートたけしの小説だ。
少年を主人公とした、普段の彼の印象とはうってかわってピュアな作風のものが多かったのが印象的である。



「少年」に収録されている「星の巣」という作品は、小学生当時の私がかつて読んだ作品だ。
改めて読むと、これがなかなか面白い。



かなり短めの作品でサクっと読めるので、ここで内容は語らないけれども、
本書の「あとがきにかえて」という、作者本人の後記から文を抜粋しておく。



少年の時代は、小さな自由を手に入れた瞬間から始まるとオレは思う。自由というのが大袈裟なら、簡単なことなら自分の望みが自分一人の力で手に入れられるという自信だ。


 今まで親に腕に懐かれ、コントロール下にあったのが、自分自身の選択で少しずつそこからはみ出した世界を創っていく。友達を選ぶ。遊びを選ぶ。行動を選ぶ。自分が何をしたいか、何を望んでいるかが世界を創っていく力になることを知るのだ。


 もちろん、望みといったって小さくてシンプルなものだ。しかし、少年にとってはそれが全てだ。オール・オア・ナッシングだ。(中略)


 その望みに少年は全身でぶつかっていく。余分な知識やテクニックはない。だからこそ、ぶつかってはね返った衝撃の大きさも全身で知る。勝ちも負けも快感も大きい。間違いも思い込みだって大きい。そしてオレは四〇歳になってもそんな少年に憧れている。


(中略)


 小説を書こうとすると、何故か、いつも少年の心を書きたいと思ってしまう。少年に憧れ、自分の心の中の少年が命じるまま、毎日を生きているせいかも知れない。結局、オレにとっての小説は、生きていることの「おつり」以上のものではないのだろう。


 少年を題材にする小説はこれで最後にしたいと思っている。思ってはいるが、果たしてその通りになるかどうかわからない。何しろ、“見るまえに跳べ”と生きてきたのだから、自分でも次にどんなものを書くのか見当がつかない。